災害レポート

出水市針原川土石流に関する内容説明
(三重大学 長井 務氏による)

出水市土石流災害写真と周辺視察の感想

  1. 数百メートル離れた海岸に、多くの木ぎれ等(ぼきぼきに折れた木や板切れ)が被災地から流されてきたようだ。
  2. 被災地より百メートルぐらい離れたミカン畑の中に、看護学という書籍(写真36)が、ぽつんと草の上に存在していた。地元の方の話では、「被災地の最上流部の一家が全員亡くなられたが、そこの奥さんが看護婦でした」ということから、その書籍は洪水で流されたと考えられる。
  3. 難を逃れた住民(針原川の岸に接する住戸の方)のお話では、「豪雨のため、水かさが心配なので、午後八時頃、窓から川を見たところ水位は岸よりオーバーしていた。次に、午後十一時頃、再度同じところをみて驚いたのは、川底が見えたからです。その時も土砂降りの雨でしたのに、おかしいなと思った。」ということから、上流方向へ数百メートルのところに建設した、砂防ダムの水を流すダム堤体下部の穴が詰まり、利水ダム状になり、降雨の大部分が砂防ダム上流部に貯留していたと考えられる。
  4. 被災地中央に立ち、360 度ぐるりと撮影したが、上流方向には砂防ダム(提高16メートル、提長80メートル)の上に、数メートルたまった土石(赤土の色が強い)が見られる(写真23,24,26,30)。
  5. 新聞報道によれば、砂防ダムのさらに上流部に農業用のため池がある、とのことから、土石崩落(当日午前一時頃)までの降雨量(詳しいデータは手元にないが)を推測すれば、ため池の水位上昇とともに表層土の小規模の初期崩落による土石がため池の堤防を乗り越え破提させ、ついで、ダム堤体下部の穴が詰まらせ、ダム内に天端まで水位が上昇し、その後に発生した大規模な崩落により、砂防ダム内の満水を跳ね上げ、第一撃の洪水を下流に位置する人家に破壊をもたらせ、次いで、充分に水を含んだ土石流がダム天端を乗り越え第二撃の破壊を及ぼし、さらに、降り続く豪雨の洪水が第三撃の破壊をもたらせたと、シミュレーション的に考えることができる。
  6. 砂防ダムより上流部に、多量の貯留があったと推測する根拠の一つに、崩落土の流下方向は、土石流の流下方向と直角であることは写真(3,4,5,6,7,8)から推測できるが、崩落現場と反対の傾斜地であるミカン山に土石流がはい上がった痕跡が見られた(写真7,8)。このことは、多量の水が存在する事なしに説明がつかない。また、土石流は直角方向に600メートルほども流下しており、もとは、ゆるやかに上る、ミカン畑の地形からも、それほど長い距離を流下するとは考えられない。それも多量の水が存在した証であろうが、被災現場は二次災害の恐れによって、立入禁止の措置が執られ、十数分の撮影時間しか与えられなかったので、直接測定もしくは、視認したわけではなく、今後の調査により明らかにされるであろうと考えている。
  7. ミカン山から撮影した被災地の状況(写真2,3,4)は平らに整地したような様子を示すが、被災地中央からの状況(写真17,18,23,24,26,30)も同様である。しかも、堆積する土石の表面には赤土がなく、岩石と礫のみであり、相当量の水が流下したと考えられる。ただし、土の部分にあしを踏み入れると、ズブズブと靴が深くめり込み、靴には粘度の強い赤土がべっとりと付着し、水で洗ってもなかなか落ちなかった。
  8. 砂防ダムの建設地点の選定に関して、総合的な防災上の視点をもって行われたのかは、知る由もないが、集落に近く、しかも、大規模で、その上流部のため池が存在するという、負の立地について考慮したのかも問われよう。

出水の土石流災害は我々になにを示すのであろうか。現地では、大量の堆積土砂を処理することも困難であると、報道されている。自然現象の山地崩落を、自然科学の研究として行うことも大切であるが、避難勧告もされず、砂防ダムの存在の安全神話に自治体や地域社会全体が、危機管理体制の確立を怠っていたのではなかろうかと、阪神・淡路大震災の調査に従事もしたものとして、考えざるを得ない。