Vol.13-1
 
人口と災厄
日本赤十字社 副社長  近衛 忠輝

 

 動物の世界では,生存に適した食糧が得られるかどうかによって,それぞれの種の生息密度と行動圏は自然にバランスを保っている。人間でも,狩猟と採集農業に生き,食糧の備蓄の習慣のないアフリカのプッシュマンには,今でもこの法則は当てはまる。
 人類は,農耕,牧畜等によって自ら食糧を確保する手段を身に付けるにつれて,次第に行動圏を拡げ人口を増やしてきた。それでも,食糧の絶対量の制約や.戦争,疫病による死亡率が高かったために,人口の白然増加は中世まではなだらかなものであった。西暦元年の2.5億人は,ようやく1600年かかって倍の5億人になっている。そのころヨーロッパでは,新大陸からもたらされたトウモロコシや馬鈴薯が急速に広まり,食糧不足はやがて解消して1830年には人口は10億に倍増した。その後の環境衛生,医学の進歩と生活水準の向上は,今世紀に入っての人口の爆発的な増加をもたらした。そして人類による大規模な環境や生態系の破壊は,今や地球上の全ての生物の生存を脅かすに至っている。
 動物の生息密度の法則を人間のサイズに当てはめると,日本人はなんと予測値の230倍の密度で暮らしていることになり,世界全体でも26倍の密度になるという。過密な人口を養うため,エチオピアでは森林の伐採が続き,100年前までは国土の約半分を占めていたのが20年前には15%に,今では5%強にまで減少している。そのため表土が流出して土地が痩せ,飢餓が続発するようになり,1983年には300万人が餓死線上をさまよったといわれる。同じく中国でも食糧増産のために森林伐採が進んでおり,被災者2ないし3億人といわれた1991年の大洪水の原因の60%は人災だったと中国当局は認めている。「世界人口白書」によれば,途上国では伐採された樹木の10分の1から20分の1しか植林されず,その結果2000年までに毎日100種類の動植物が死滅するという。人類が自ら招いた災難に苦しむのは自業自得であるが,とばっちりで死滅した動植物からみれば,これは明らかに人災である。それを“天災”と偽って,責任を天になすり付けるようなことがあれば,抹殺された生物は浮かばれないだろうし,それこそ天罰だって下りかねない。
 それならば天罰の一つである“天災”に,人類の身勝手な営為に歯止めをかける役割を期待できるだろうか。天災は確かに,今でも人類にとって最大の脅威であり,現に天災が20世紀に入って奪った人命は400万にものぼっている。しかし,その間に増えた世界の人口が39億2000万人であったことを思えぱ,その影響たりとも知れたものでしかなかった。マルサスは,「生存資源の制約のため,人口は“悪徳”“貧困”という社会悪によって受動的に抑制される」と書いているが,“貧困”な開発途上地域ほど人口増加の率が高い事実は,彼の予想を完全に裏切っている。“残る悪徳”に戦争,虐殺,粛清,殺人まで含めるならば,20世紀中の犠牲者の総数は優に1億人近くにはなるだろうが,それさえも人口の調整に大して役に立ったとは思われない。何の妙案もないとすれば,人類がこれ以上の増殖を自ら抑制する叡知を発揮できるとの淡い希望にしがみつつ,せめて“天災”が“天恵”に転じたり,“悪徳”が“美徳”とされねばならないような世の中になることだけは願い下げにしたいものである。


日本自然災害学会