学会誌「自然災害科学」
自然災害科学41 Vol.16,No.1, 1997, p1f
災害と感染症
日本リスク研究学会会長
広瀬 弘忠
災害に2次災害がともなうことは,ごく一般的に見られる現象である。地震に火災,火山噴火に土石流などは,われわれのイメージの世界では,震災あるいは火山災害と一体化するまでに密接な関係をもっている。しかし自然災害と感染症との関係は,これまであまり本格的な議論の対象にはならなかった。そこで本稿では,この問題をとりあげ読者の注意を喚起したい。
ひとつの例をあげることから始めよう。カリフォルニア州を流れるサンフォアキン川は,カリフォルニアとネヴァダを分つシェラネヴァダ山脈に源を発している。この川がシェラネヴァダの山地から平地に出てフレスノの町を過ぎ,流れを北に転じるあたりを,サンフォアキン谷と呼ぶ。乾燥した気候と地味豊かであるため,ブドウ,柑橘類,野菜などが栽培され,この地域はカリフォルニアの代表的な農業地帯のひとつになっている。
サンフォアキン谷には,『谷熱』という風土病がある。この地域の乾燥した表土層には,コクシジオイデス・イミティスという真菌の一種が住みつき,強い風が吹くと,分節胞子が空中に漂い,この菌を吸いこんで感染した人の40%が発症する。流行地域はカリフォルニアのサンフォアキン谷が最も有名だが,アリゾナ州のツーソン,フェニックスなども流行地である。発症者の多くはインフルエンザのような症状を呈する。多くは8週間以内に回復するが,中には肺結核のような症状から長期の治療を要したり,髄膜炎を併発して死ぬ者もいる。
1994年1月17日のノースリッジ地震が,コクシジオイデス症の流行をもたらした。CDC(米国・疾病対策予防センター)のアイリーン・シュナイダーらは,サンフォアキン谷からほど遠くないコクシジオイデス症の非流行地・ヴェンチュラ郡で疫学調査を行い,その結果を1997年3月19日の The Journal of the American Medical Association に報告している。ノースリッジ地震とその余震で,この病原体の住むサンタスサナ山の傾斜地が地すべりを起し,もうもうたる土ぼこりが,折からの東風に乗って風下の地域を汚染した。地震後1週間ほどして流行が始まり,2週間後流行はピークに達している。1月24日から3月15日までの間に発症した人の割合は,ヴェンチュラ郡全体では10万人当り30人,郡内でも特に流行の激しかったシミ谷の町では,10万人当り114人であった。3人が死亡している。
もともと病原体がその地域に存在しないか,持ち込まれないかぎり,災害後といえども感染症が流行することはない。しかし,住む家を失い,狭い場所でストレスの多い避難生活を送る人々の間では,救援者が外部から持ち込んだインフルエンザが大流行する危険もあるし,ライフラインが破壊され,衛生状態が悪化している場合には,大腸菌O157のように食物や飲料水を介しての感染症が流行する恐れもある。また,ヴェンチュラ郡のコクシジオイデス症の流行のように,災害による環境破壊が新たな流行病を生む危険もある。
CDCがまとめた報告書「The Public Health Consequences of Disasters」は,被災地において感染症のサーベイランスシステムを確立する必要性を訴えている。そして,もし,このシステムが何かの異常を検知したり,感染症の突発に関する報告を確認したら,直ちに疫学調査を開始すべきこと,また,調査結果は速やかに分析して,そのすべてを直ちに公開することを勧告している。
わが国でも,感染症の流行に関する調査・分析を行うことで,被災者を感染症から守る必要がある。そのためには,被災地における疫学的チェック体制を整備していく必要がありそうだ。また,災害後の低栄養やストレスなどで病気に対する抵抗力の低下した被災者に,感染症が猛威をふるう現象は,開発途上国において特に顕著である(Davis, A.P., 1996: The Lancet, Vol.348, 868-871)。わが国がODAなどを通じて開発途上国の災害救援を行う際には,コレラ,はしか,インフルエンザなど,現在開発途上国で多くの災害被災者の生命を奪っている感染症対策も考えておかなければならないだろう。災害では生きのびたが,感染症で死んでしまったというのでは,せっかくの努力が水泡に帰してしまうことになるからである。
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東京女子大学文理学部 教授