学会誌「自然災害科学」
自然災害科学46 Vol.17,No.2, 1998, p91f
防災のアジア・スタンダード(ASIAN DISASTER STANDARD, ADS)を提案する
日本自然災害学会副会長
河田 惠昭
自然災害総合研究班の諸先輩のご努力によって,科学研究費による海外突発災害調査が行われて,すでに20年以上経過している。私もこの7月17日に発生したパプアニューギニアの津波災害をはじめ,何度かその経費によって,調査を行ってきた。とくに,1991年のバングラデシュの高潮災害調査に参加できたことは,発展途上国の防災問題の難しさを改めて認識ずるきっかけとなり,その後のこの種の調査の基本的な私の姿勢となっている。災害の現場を知ることは,災害の研究者にとって必須であり,この機会が文部省当局のご理解によって継続できていることは,特筆すべきことであろう。
海外突発災害調査を申請し,それが採択されるには,まず,学術国際局の主任学術調査官の同意を得る必要がある。その場合,必ず聞かれることは,『この調査は,わが国のために役に立つのか』ということである。私自身が若かった頃には,こういう質問を何か奇異に感ずることもあったことは事実である。それは現象解析に大部分の興味を集中させていた結果,調査結果の活用方法などはほとんど頭の中に入らなかったことによるのであろう。30歳代の災害に関係する分野の研究者の平均的な態度ではないだろうか。
さて,本年度より,文部省と全米科学財団の経費による都市地震防災に関する日米共同研究が始まり,また,科学技術庁の振興調整費による地震・津波防災に関する国際共同研究が開始された。これらは,本格的には1999年度から動き出すものであるが,およそ前者は1億円,後者は2億円という巨額な研究費が毎年,わが国の研究者に提供されることになっている。5ないし6年継続するであろうこれらの研究プロジェクトに対し,私はその分担者の一人として,従来のように単に研究成果を挙げるだけでは余りにも不十分であると考えている。それは,防災を標榜する以上,その成果が実際にどのように防災に役立つか,その道筋を具体的に示さない限り,現場で使われないと言ってよいからである。
わが国の災害科学の研究者の多くは,その成果の現場における使われ方にはこれまでほとんど無頓着であった。極端には論文にさえすれば,それで終わりとする態度であったと言ってよいだろう。
しかし,防災に関してはそうはいかないのである。特に東南アジアを中心とした発展途上国では,中国をはじめ,バングラデシュ,カンボディア,ベトナム,フィリピンなどの諸国で洪水災害の増大による被災者の増加は近年激しさを増す一方である。また,この地域の大都市は例外なく地震などの自然災害の脅威の下にある。21世紀には間違いなく大規模な都市災害の頻発が懸念される。
そこで,わが国の貢献を考える場合,この地域に対してまず,標準的な防災基準の提案を行うことが挙げられるだろう。この地域の国々は短縮型の工業化を進めるあまり,環境や災害問題で極めて深刻な状態に陥っている。そして,かつてわが国が災害対策で失敗してきた例も含めて,同じ道を急ぎ足で追いつこうとしている。地盤地下,都市化,埋め立てなどの自然災害の素因はもとより,大規模森林伐採,耕地放棄による大量の土砂流出と河床上昇などの自然災害の誘因までも人工的に大きく改変してきているかのようである。わが国の自然災害に関する諸経験が必ず役に立つことは間違いなく,それらの情報をこれらの諸国の現場で使いやすい形で,提案することは,今後これらの国で起こると予想される災害の被害軽減に有効であると考えられる。
幸い本年,神戸に国土庁が所管する『アジア防災センター』が発足した。いろいろな研究の機会提供やその成果,防災マニュアルなどの英文化,これらに関係する組織をネットワーク化して,1つの明確な目標を示し,それにわが国の災害研究者や実務家が協力するとが,いま求められていることは間違いのないことであろう。ここにその1つの具体例として,防災のアジア・スタンダード(ADS)の構築を提案したい。
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京都大学防災研究所 教授