学会誌「自然災害科学」
自然災害科学54 Vol.19,No.2, 2000
防災研究の横糸と縦糸
京都大学防災研究所教授
理化学研究所地震防災フロンティア研究センター センター長
亀田 弘行
防災研究には常に総合的視点が要請される。特に5年前の阪神・淡路大震災は,都市の脆弱性に対する総合的視点の欠如がいかに大災害をもたらすかを衝撃的に示した。この経験を原点に,地震防災の研究者として,この5年間,2つの課題に取り組んできた。それは,「物理的課題・社会的課題・情報課題を総合的に扱う多分野間の共同研究」と,「平常時と災害非常時のシステム連携を目指す研究」である。多くの個別現象が時空間的に関連して進行する災害過程の中で.前者は分野横断的な横糸の視点,後者は時間的推移を貫く縦糸の視点を要請する。
横糸と縦糸を本格的に論ずることは紙数の関係で別の機会に譲り,ここでは横糸の問題,とりわけ防災研究における多分野間の共同研究の課題に関する私見を述べたい。防災研究が理工学一色であった頃に,人文・社会科学的視点が必要であることを唱えたのは,永年にわたり防災研究をリードしてきた自然災害総合研究班の先達であった。筆者にとっては, 1978年の宮城県沖地震の後に理学・工学・社会科学からなる体制で編成された特定研究に参加したことがその重要さを認識する契機となった。こうした先輩方の努力はその後自然災害学会や地域安全学会の設立へと発展して行ったが,一方研究組織の整備という点では,それぞれの専門領域の壁は厚かった。1986年から10年間京都大学防災研究所に設置された都市施設耐震システム研究センターにおける理工学の専任教官と人文・社会科学の客員教員の協力が先駆的な活動としてあったが,研究の現場に本格的な分野横断的共同研究組織が生まれるには至らず,多分野間の連携を「研究協力」以上に展開させるのは困難であった。
この状況の中で1995年の阪神・淡路大震災を迎えた。この複合都市災害を構造的に理解することを目的とする文部省緊急プロジェクトによる分野横断的ワークショップが開かれ,その主要な結論として,物理的課題・社会的課題・情報課題を包含する総合的視点の重要性が強調された。これは理工学と人文・社会科学の連携強化の必要性を,現代的な視点で問い直したものであった。
こうした総合的視点は,震災後に発足したいくつかの主要な研究プロジェクトや京都大学防災研究所の改組などの中に取り入れられてきた。さらに,これを明確な形で研究組織に実現した例に,理化学研究所地震防災フロンティア研究センターがある。これは,震災の教訓に基づき科学技術庁で進められた地震防災研究基盤整備の一環として1998年1月に発足したもので,兵庫県三木市に置かれたセンターを拠点に,災害過程シミュレーション(社会的課題),災害情報システム(情報課題),破壊・脆弱性評価(物理的課題)の3チームが切磋琢磨する形で研究が展開されている。いまも復興過程にある阪神・淡路大震災という犠牲とその教訓の上に育ってきたこの方向性を今後着実に発展させることは,防災研究者の重要な責務と考えるものである。
いま改めてこのことを強調するのは,震災発生の後に見られた「横糸」強化の重要性への認識が,最近は薄れつつあることを懸念するからである。地震防災研究において,地震学・耐震構造学・地盤工学・災害心理学・社会システム工学など,それぞれの専門性からの貢献が基本的に重要であることは論をまたないが,それらを総合的視点で捉えて防災学の全体像を構築する努力が常に払われること,異なる専門家が互いに向き合う姿勢と,それを実現する場を育てることが重要である。専門領域の狭間で見過ごされた問題がきわめて稀に襲ってくる自然の巨大な外力のもとで大災害を引き起こすことを,防災研究者の共通認識として持つべきである。それは,安全性(safety)と社会的持続性(sustainability)の実現という防災研究の目的を達成するために不可欠の作業である。